藤井聡太四段という呼び方が定着してしまってますが、2月1日に五段に昇段しました。
プロとなった(四段になった)のが2016年10月1日なので、1年4ヶ月での昇段。
スピード記録なのは言うまでもありません。
そこで、まもなく公式戦初対局がある羽生竜王と昇段スピードを比較してみました。
C級2組1期抜けの藤井四段、2期抜けの羽生四段
四段から五段に昇段するには、いくつかの規定があるのですが、羽生竜王も藤井新五段も順位戦でC級1組への昇級が決まったことによる昇段でした。
順位戦とは名人への挑戦者を決めるリーグ戦です。クラスが5つに分かれ、上からA級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組となっています。
上のクラスのほうが人数は少なくA級は基本10名(今期は例外的に11名)。
一番下のクラスのC級2組は今期50名です。
プロ棋士になると、まずC級2組に入ります。
ここで一年間かけてリーグ戦を行い、C級1組に昇級できるのは3名のみ。
リーグ戦とはいっても人数が多いC級2組は総当たりではなく10回戦です。
藤井四段のC級2組での成績は9回戦を終えて9勝0敗。この時点で上位3名に入ることが確定したので、C級1組への昇級が確定し、それにより自動的に昇段も決まったということです。
なお、順位戦が始まるのは毎年4月。
ここから1年間かけて戦うとこになります。
藤井四段がプロになったのは2016年10月1日。
順位戦に途中参加は出来ないので、翌年の4月から順位戦に参加しました。
で、その戦いの1年目でC級1組への昇級を決めたというわけです。
1年で昇級することを1期抜けといいます。
順位戦での1期抜けは優秀な棋士の証し。
羽生竜王でさえ、C級1組への昇級は2年(2期)かかっているのです。
ちなみに、羽生四段が五段になったのは1988年4月1日。六段になったのが、1989年10月1日で、この年の年末に初タイトルの竜王を獲得しています。
いずれも、藤井聡太五段が生まれる(2002年)はるか昔の話です。
羽生竜王が段位で呼ばれていたのはココまで。以降は、何らかのタイトルを常に保持していたので、羽生七段、羽生八段と呼ばれたことはありません。
藤井五段はどうなるんでしょうかね?
ちなみに、朝日杯での羽生竜王との対局に勝ち、決勝戦でも勝つと「五段昇段後全棋士参加棋戦優勝」との規定により六段に昇段します。こうなると「幻の五段時代」と呼ばれるかもしれません。